不登校経験者が親に!不登校についての対応や自分について答えるよ

どうも、ゆず(@yuzuiro_com)です。

今となっては、信じがたいと言われますが私は中学校2年後半はかろうじて不登校。

中学校3年からは完全な不登校でした。

今でも思います。

ママ
私にとって、学生という職業が一番似合っていない職業。苦行なんだよね。

と。

不登校経験者である私も親になり、子供を愛して自分の子供が不登校になったらと不安になったりします。

誰しも可愛い我が子には良くも悪くも普通でいてほしい。

  1. 元気に学校に通ってほしい。
  2. 元気に育ってくれさえすればいい。
  3. その元気さえが叶わなかった時。

本人は本人で辛い最中にいます。

私の実際の不登校経験者エピソードと、今不登校にお子様と一緒に苦しんでる親御様たちにも、親である私の不登校経験談、是非とも読んでほしいです。

勇気を出して、書きます!

最初にこれだけは言わせてください。

私は死んでいい人は、誰一人いないと思っています。

ある日、突然通学路で足が動かなくなって吐くようになった

私は中学校2年は、月数回ズル休み。

中学校3年二学期では、全くの不登校でした。

もともとの性格は明るく、今でも不登校だったと打ち明けると信じてもらえないことが多いです。

その頃の私は学校成績は中の上で、希望していた高校にも入ることはできると言われていたし、進学校の提案も教師からされるほどでした。

志望高校の合格判定を参考にすべく受けた模試で志望高にはA判定どころか、県内一位の成績をおさめました。

さて、ここまで読むと

「じゃあ何でアナタは不登校だったの?」

と、言われます。

不登校経験者である私はずっと中学校に、我慢して通っていました。

夢を諦めませんでした。夢を叶える最短距離の学校に志望高を決め、決して得意でない数学も寝る間を惜しんで勉強しました。

いざ、その合格が確実となった時に私は目標を失いました。

それまでは不登校になりたくて、死にたいという気持ちがあったけど志望高に行くという夢や目標がありました。

なので頑張ってこれました。

ですが、目標であった志望高合格判定を手に入れた時に今まで蓋をしていた感情が溢れ出てきました

思春期女子特有の「男子と仲良くして!」と言われ(挨拶しただけやん。)

時には、靴に画鋲を入れられたこともあるし

寝ないで頑張ってとったテストの点数を「何であいつが取れて、私が取れないの」と目の前で指差して言われたこともあります。

そんな風に言われるのが目立つのが、とにかく嫌になった日から私は、学校で明るく声を出して話すのをやめました。

たいていの休憩時間は読書をして過ごし、事務的に会話をするだけになりました。

ママ
目立ったら終わりだよね。

と。

しかし、いつも根暗な人がテストの点数が高かったり、女子よりこの時期純粋な男子が声をかけたりしてくれたりするのが、まったく気に食わなかったのか

「根暗なのにね」

と陰口どころか目の前で言われることも続き、仲が良かった女子が別の女子には私の悪口を言っていた等の裏切りも判明。

夢を見て辛いことをこんなに我慢して掴んだ目標の対価は思っていたより辛かった。

どんな私だったら認めてくれて、どんな私だったら私のペースで生きれるのだろう

と、思いましたね。


その結果、合格判定をもらったのにもかかわらず、足がすすまずトイレで吐いては黒いものを出し、食べるのが怖くなって食べることもやめました。

この時体重は41キロにまで減っていました。

夢や目標のために頑張ってきた代償のが大きく、とても素直に喜べないと同時にずっと自分は

不登校=ダメなこと

として、闘っていくことになります。

せっかく手に入れた成績は斜線へ。

極力休まないでいた欠席日数は、どんどん増えていきました。




不登校は辛いよね!経験者だから素直にそう言える

不登校経験者ですが、

ママ
不登校になって学校サボれてラッキー! icon-lightbulb-o 

とか

ママ
不登校な私カッコイイ☆

とは思っていません。

世の中、自分の意志と反して不登校に追いやられる人がいっぱいいます。

ママ
もう学校行きたくない!!

と、言って実行するのは確かに私です。

しかし、腑に落ちて学校に行きたくない!って言ってるお子様がいると思う方がいるとするならば、それは大きな間違いです。

大抵の中学校のお子さんは、お小遣いでないとお金を得るすべがないので、不登校になって遊びたい!というのは限度があるし、真意ではないような気がします。

むしろ高校まで行けば義務教育ではないので中退も考えられます。

親の高校不登校になり、中退しないでいけたらという思いを裏切らないようにお子様は我慢して高校に入ってるかもしれません。

不登校になって、欠席日数が増えて自分の将来が不安になります。

勉強も追いつけなくなってきます。

どんどん学校に行きづらくなります。

みんなができている学校に行くことが出来ない自分はなぜこんなに弱いのか考えます。

惨めになります。

「そんな風に思うなら学校に行けるでしょ」

って思いますよね。

なんで出来ないんだろうって悩む時期があるんです。不登校になってからも、この想いに本人も悩まされています。

しかし、自分では解決できないんですよ。

悪口を言われたり合わなかったら環境を変えること、大人はそれが出来る

「大人は仕事を辞めれないんだぞ!」

「働かなきゃ飯も食えない!」

「なのに、学校にも行かないで。不登校なんて甘えだ!逃げだ!」

という人がいます。

ママ
でもさ、大人は職場も職種もかえられるよね?
ママ
喧嘩して裏切られて、ひどい惨状によっては絶交できるよね?

でも義務教育は義務のくくりで、毎日お互いに選ぶことのない環境で繰り返す生活のことです。

そこにいる人は私を好きか嫌いかは最早ドウデモイイ。

でも、みんながみんな私を嫌いなのだろうか

自分が嫌われたくない思いから私に牙を向けるとしたら

学校くだらないな、みんなで仲良しごっこしちゃってさ

私のこと知りもしないでさ私を傷つけてこないでよ

私は私と合う人と話したいんだよ。もう勘ぐるのも疑うのも嫌なんだよ

それが、思いでした。

大人は職場も環境も自由だよね。でも学校てさ?勉強したらさ?じゃあ、世の中どれくらいの人が出世できるの?

出世して生活がギスギスしても、それが幸せなの?

大人になれば、たかが男性と話したくらいでキーキーいう女のが嫌われます。

みんなであいつをはぶこう!と言った本人が変わり者とみられます。

それは「大人」だからです。

子供だから、そう大層なことされてないのに甘えだ不登校なんて。

そういう人

ママ
子供のがよっぽど残酷ですよ

人は人にされたやな事は、学習したら極力しないと判断します。

時に悪意をもって、わざとそうする事以外は気をつかい話すようなもなるし。

しかし、その経験が圧倒的に少ない義務教育の年齢の頃は

取り巻くものが多い人が勝ちな世界

です。

自分は間違ってなくても、自分が間違っていても一対大勢は、フェアではないわけです。

一対一で正しいか否かの判断をせずに攻撃する、それが子供のいじめです。

不登校は甘えか否かが重要ではなく、なぜ学校に行かないのかが重要

不登校は甘えだとか逃げだという人がいます。

甘えだとか逃げだとかの前になぜ不登校なのか聞いたことがありますか?

「子供の世界ごときで」

と、あしらわず聞きましたか?本人のたかが、そんなこと。

しかし、子供でも、たかがそんなことで不登校になるのでしょうか?

不登校になった本人は見えない未来と申し訳なさとずっと闘っています。

いっそ学校に行ったら、全部解決して楽じゃんとも思っています。

しかし、行けません。

この、しかしから続く言葉を聞きましたか。

多分、不登校の周りの人は聞けていません。

そのくらいまで心を閉ざしているか、本人も未だ分かっていないかは定かではないかもしれないです。

もしそれが、たかが遊びたいからという理由であれば、すでにそこのグループには属さず どっかに行っています。

そのグループ(例えば家庭)にとどまっているという事は、そこで悩むことがあるから立ち止まっているんです。

親に焦られると不登校であることに対する自分に自信を失った

大人になった不登校経験者の私は、今でもやなことはあります。

誰しもみんな、画面の前にいるあなたも今日一つや二つあったのではないでしょうか?

些細なこと、大きなこと。

人間は本来それを好きなことにかえて発散する力を持っています。

そうでなければ大多数の人間は、辛いだけの人生に諦めを感じ死んでいます。

親である今の自分もそうですが、大人は選ぶことができます。

お金を通じて我慢したり、違うもので喜びを得たり

環境自体を変えてしまったり

その人間関係を放棄したり。

そこが根本的に違うのにも関わらず、

「学校(職場)にも行かないなんて、うちの子大丈夫かしら」

の雰囲気を不登校経験者である私も確かに昔、感じ取っていました。

親である今の私の立場であれば当然の思いと気づけますが当時の私を考えたら

「学校なん行かなくていいよ」

そう逆に言われたら、もっと早く自分の世界を見つけられたかもしれませんね。

そして、自分で学力を取り戻すために時間を作ったり、他の才能を伸ばしたりできたかもしれません。

自信がない不登校であった私は、あの頃自分で自分のことを決める気力もありませんでした。

自信がなかったからこそ。

いつだって人生はリスタートできる

人生はいつだってリスタートできます。

私は不登校だったことを感じさせないと言われるくらい、会社で働き子育てをし、園のママさんや同僚とスムーズにコミュニケーションをとることができます。

学校から外れた私でも笑顔で会話できる友人も数名でもいますし、今では夫の存在もあり、

ママ
こんな私でも好きでいてくれるんだ

という自信が、中学校から10年でずいぶん作られた気がします。

中学校だけ見たら行ってないので、0点だったかも。マイナス点だったかもしれません。

しかし、こんな感情の時は寂しいよねという気持ちから、より熱心に介護ができ会社での評価も高くなりました。

不登校が甘えか逃げか、その後の人生捨てたなと言われるのであれば数字でしか示すことができません。

けれど不登校だった経歴が、今の私に不利に働くかと言われれば働きません。

みんなが知っている英文章を知らないくらいで、不便はしません。

不便に感じたら、今の私だったら調べて会話についていこうとするはずです。

そのくらい相手が好きならば、その環境が好きならば人間は熱心に勉強だって、そこに行かなきゃ!行ったら楽しい!という気力だって湧きます。

付き合いたての恋人には寝る間も惜しんで会いに行くように。

学校という場所にいけないだけで、うちの子ダメって親に思われたら不登校経験者の私は悲しいです。

全国の不登校のお子様をもつ親御さんに、親である不登校経験者の私は言います。

ママ
不登校かもしれないけど、人生はやりぬいてるじゃん、つよいじゃん
ママ
死にたいかもしれないけど生きてるじゃん、その年齢で
ママ
長い目で見て、いつか学校に適合しなくても社会で適合できたらいいよ別に

それが、「学校に行かない」ではなく「社会」という括りでの不登校での立ち位置の正解だと思います。

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