死にたいって言う時は、人生やめたいほど辛い!でも、死ぬ必要なんてものは全くない!




10代の頃にパニック障害、不安神経症という診断が降りた。

その時の私は、電車に乗ると過呼吸になり、周りが送っている煌びやかな10代を送れなかった。

「どうして、私はこんなに虚弱なんだろう。」
「どうして、みんなみたいにバイトが出来ないんだろう」

本当に悩んで、些細な一言に三日とか悩んだりした。

同じような苦しみや、理解されない孤独さを持っている人がいたらなぁと思って、記事を書いてみた。

あなたは、ずっと計り知れない孤独と戦っていませんか?

あなたの周りに、そんな孤独と戦ってる人がいたら、なんて声をかけてあげれますか?

私は、ずっと死にたかった側だった

よくギャグとしてしか取られないけど私は、ずっと死にたかった人間だ。

こういう人の話を聞いて「ネガティヴ」「そういう話いいからwww」って人もいると思うけど、その類の死にたい人だったから言う。

本人だって、そんなことは言いたくない。

言いたくないのに

ママ
なんか…また1日死にたかったな…!

って思った日が数週間続いたある日、夜寝れなくなってワーッと泣いた。

いい加減、ハアハア辛い過呼吸の中で泣き疲れた頃にふと考えた。(パニック障害の発作は一定時間たつと、おさまるのが特徴です)

ママ
なんで周りに迷惑かけること知っていて、死にたいと言っちゃうんだろう…なんで私は死にたいんだろう…

死にたいと言う言葉は、破壊力抜群である。

周りも死にたいと言う言葉を聞いていて、心地いいとは誰も思わないし、それを考慮して死にたいというくらい周りを見れないなら、本人は死んでいてもおかしくない。

でもそれって結構、簡単な答えが待っていた。

私の場合は死にたいんじゃなくて、理解されたいし生きたかった

女子の派閥とか、周りを見ていての焦りとか。そういうのひっくるめて、私それでも”生きたかった”が正解だったと思う。

生きたいから最初は環境を変えるために頑張って、どうしたら状況が変わるのかなとか考えて色々やってみたけど、まぁ無理だった。

それっていうのは私が死にたかったり生きたかったりするくらい、相手も懸命に生きていて1人の人間だからこそ、そう簡単には理解されない。

理解ってなんだろう。

私のことを理解するには、その人の理解を私もしなくてはいけない。でもそれは絶対的なフェアではない。

あなたは私のことを全面的に考えて理解してくれたとする。

でもそれが、一生続くわけではない。

そして、それが相互で徹底的に行われるのが理解だとしたら、そんなキャパシティは個の人間のどこにも実はないことに気づいた。

そして、私もあなたを1から100、未来永劫この先も理解できるとは言えない。

人間の「理解されたい」「わかって欲しい」が隠された死にたいほどの熱烈な要求の数々は、大抵わかってもらえないんだと気づいた。

楽しい事は皆でやっていても楽しい。だから、レジャー施設はある。苦しみを率先して、勝ち取りに行く人はいない。

そして苦しみは、本人外は絶対に本当の重さや心の状態は分からないだろうとも思う。

心は心臓でも脳でもないところにあるとすら思う。だから共有は難しい。

死にたいって思って、生きたいって思った。だから、生きてみようと。

思ったより旦那さんであっても、親であっても兄弟でも親友でも、

私がその人が思ってる心の重さ。あの悩んだ時の心がドクドクもやもや息苦しいヤな感じを、聞いただけでは私もその心の重さを感じ取る事が出来ないように、誰もそのような意味での理解はできないし、させるものでもないなと思う。

だからと言って、これ以上頑張りたい気はするけど疲れてしまった時の対応で私がとった対応は、

生きてみてるけど、辛いことは辛い。楽しいことは楽しい。

と、自分の中で誰とも比べることなく共有することなく、とことん分けた。

仕事が嫌だった10代。周りは楽しく遊んでる10代。どうしても女子の派閥が嫌だから群れたくなくて、集団生活が嫌だと感じた女である私。

それ以上の絶望に見舞われたこともある。

それでも、その子達も沢山のハプニングがあったんだと思う。

だから、そういう意味で私も分かれていないであろう。そして、きっとその子達も私のことは分からない。

そうなら、もう比べることなく自分がこれから、どうするかとかの目標や願望はおいて、命が動いてる限り自分だけは嫌なことと良いことを自分で分けてあげようと思った。

嫌だと思ったら何で嫌なのか、好きだと思ったら何で好きかを徹底的に自分に聞いた

パニック障害、不安神経症を患っていた私は、そんな自分が嫌だった。

なんで自分が嫌だったか。

みんなと違うからだ。

ママ
みんなと違うからこそ理解されないし、この心のどんより状態までシェアなんて到底、無理なこと!

「そう簡単に人には真意まで理解されない」と思い、諦め始めた時に

ママ
人と違うから自分が嫌なの?人とやな事まで、ちゃんと奥深くまで分かり合えないのに、それだけで自分も自分を嫌いなの?!

と、気づいた。

いま私が孤独の中で自分まで自分を嫌いになってしまったら、本当に天涯孤独だ。

ママ
現段階、人間不信。色々怖いことも…沢山ある。だけど!私は自分の好きなことは、ちゃんと自分に好きでいさせてあげたい!

人を気にして人に好かれるのは、簡単なようで難しい。自分を大切にするといった見方では難しいのだ。

誰かに理解されたいっていうのは、誰かに理解される自分でなくてはダメな気がしてくる。

だから、必死にこんな自分ダメ!こんな自分は嫌だ!だってこれだと、理解されない!

ってなる時があると思う。

ママ
なんで、理解されなくちゃいけないの?

と、思うと別に【自分がこのままでいいんだ】ということに気づく。

そして見解は、簡単なようで割り切るのに時間がかかる、

「私には合っていない」

ということ。何かの基準があって、その幸せか否かの基準を定めるのは自分だということに気づいた。

不幸なら、どうすれば。幸福なら、どうしたら続けられるか

自分の中で周りからしたら何でもないことを不幸とする時は、じゃあどうすれば幸せになれるか。というか、自分がどの状態なら、不幸としないかを考えることの方が意義があった。

幸福なことが例え他人と比べ物にならないくらいの低レベルだとして、その人の幸福にまで達したいかと言われたら、自分はこれが幸福だと気づくことのが、よっぽど幸福だった。

数年後。

友人が

「私なんか、最近ね。不安で夜眠れなくなるの。」

と相談してくれた。

ママ
それで何か不便なことある?自分自身が。

と問うと

「なんか、孤独っていうか、つらいっていうか。1人になった気がする」

と、カミングアウトしてくれた。

ママ
それで、なんか不便があるの?自分は何も変わらないんじゃないかな…?

と言ったら、何かハッとしたように本人は明るくなった。

その顔が一番、ホッとしたような気の抜けた いい笑顔だった。

時に人と比べて自己啓発してみたり、確かに比べることは重要だと思う。

何かを買うときだって比較対象があるけども、比較はそもそも一個異条件で他の条件が伴っているときこそ、変化に大きく気付ける。

人間と人間を比べるのが、そもそもの間違い。

だけど、その大事で大前提な本人の幸福や不幸の基準値がブレてきてる場合、自分で幸福や不幸、なぜ自分の人生に価値がない=死にたいとなっているかを考える必要性があると思った。

そのことに気づいた時に、今も時々強い孤独感や不安感に襲われるけど大抵は、自己処理できるようになったし、いかに不幸を消すための幸福を見つけるかに精を出してる気がする。

不幸を消すことは難しいけど不幸をどう乗り越えるかのが重要で、そのアクシデントをどう解決するかのがよっぽど自分には大事な事だと思った。

自分がそこで躓いた時に笑ってくる人がいたとするならば、なぜ笑われたのかを考えるより自分にとっての事の重大さを考える事のが、よっぽど自分のためになる。

「そんなことで会社をやめるのか」「そんなことで子育てが辛いのか」と言われるくらいなら、

ママ
そんなことで辛いから、私は毎日そんな自分が反吐が出るくらい嫌だし、そんなことにならない別の道を探してみたい!

のが、意義があると思う。

幸福は誰とでも共有できる。誰もが幸福になりたいと望む。誰もが熱望している。

だから、どう不幸を幸福に変えるか、そこに他者は後から着いてくるものと自分のことは否定しないであげてほしい。

自分が不幸になりたくないからこそ、あなたのことを思って助言している場合もあるが、その基準値が違うことにそもそものブレがある。

ママ
想ってくれるのは、嬉しいけど。それが本当に自分の声に合っているかを考えずに進めば、どうせどこかで辛い結末がある

世間一般は確かに存在するかもしれないけど、それが【自分の意義とそもそも違うことに気づかない】なら、【世間一般的な対応が辛いのは当たり前】で自分の解決にはなっていない。

一度、味わった孤独感や不安はその後、絶対誰かの役に立てるから

私は認知症の方が不穏になって、いてもたってもいられず、徘徊する理由が分かる。確かに本人がどう考えて、どういうような心の重さや孤独に見舞われてるかまでは理解できない。

私は若いから認知症ではないけど、いてもたってもいられず泣き叫んだ経験や「どうしてなんだろう、どうして孤独なのかな」と思った経験があるからです。

だから悲しみの理由は知れないけど、誰が止めに入っても聞いてくれても、泣きたくなるような状況は少なからず分かる。

自分が誰にも理解されないと思うことに遭遇します。それは辛くて死にたくて最強に怖い感覚で、社会に取り残されたような不安感です。

周囲がそのメンタル状況や心の重さを理解するには、理解できないでしょう。

だからこそ、辛くて死にたくて死にたいけど、死にきれないのなら…いち体験が出来たと思って、そのあと他の人に事例で話すことが出来ます。

同じような悩みではないかもしれません。

でも、同じような怖い感覚には襲われたと話すことが出来ます。

私が今している、この話がそうです。

死にたい人は誰にも言わずに死ぬと思います。それは間違っていません。

なぜ辛いか聞いてあげてとも思いません。

それでも、そのような孤独感や不安は誰でも持ってるものと少しだけでもいいから…自分が体験したお話をするだけでいいんです。

理解されないことは苦しいかもしれません。でも、きっと死にたいその人は、その理解されないことにより自分を自分が理解できにくくなってる事のが苦しくて孤独です。

「それでいいんだよ」

と、言ってあげてください。夜泣きでヘロヘロでも、社会から隔てられたようなイジメにあっている人にでも

ママ
じゃあ、そんな自分のことを自分は理解せず、嫌い…なのかな…?

と、聞いてあげてください。

絶対、本人にしか分からない苦労や努力があります。それを問題だと思ってるからこそ、本人は辛くて悲しくて死にたいんです。そんな時は、こう聞いてあげてください。

ママ
自分は、精一杯頑張ってるから、そのままの自分でいいんじゃないかな!?

と。

理解してあげれなくても、本人が今まで頑張ってきたであろう、自分で気づける幸せや自信が沢山あると思います。

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